根拠の無い自信

「出来ると思うんですよ」

「出来そうな気がします」

同じ道場に通っていたその彼は私より10歳以上若い人でしたが、日頃からよくそう言ってました。

師匠の稽古は理屈は言葉ではほとんど教えてくれず、技をかけるだけの教え方で、技が出来なくても

「わからない?それじゃあしょうがないねえ」

というかんじでしたので、みんな頭をかかえてうんうん唸るばかりで10年以上習っていてもさっぱりわからない、それが当たり前という状況でした。


彼にしても当初は皆と同じでまだ技ができるわけでもなく、理合も皆目わからないというのにそんな大それたことを言っているので、なんだコイツ、何を根拠に出来るとか言うんだ?ずうずうしい、と最初の頃はその根拠の無い自信に少し腹立たしささえかんじていました。


大東流の稽古ほんとうに難しく、私などは彼と逆で「まったく出来そうな気がしない」と思っていたので、まあ当然そう思うわけです。


でもその彼がその後、比較的短期間で一番できるようになったのであります。

しかも一度も習ってない技までやってのけた時にはさすがに驚きました。

なんて才能のあるヤツだ、この人はもしかして天才じゃないのか!?と思いました。


またこれまで出会った高名な達人クラスの武道家の先生方もみな同様にやったことがない技でも「出来ると思う」と言う人ばかりでした。


一方で同じようにやった事もないのに「自分だけは出来る」と思っていて習い始めても結局出来ずにやめてしまう人もいます。

両者とも同じ「根拠の無い自信」の持ち主ですが、何が違うのでしょうか?


私はその後、その天才の彼と気が合った事もあり先輩と一緒に道場外でよく稽古するようになったのですが、その時思い知らされた事があります。


彼は日頃からああでも無い、こうでも無いと考え抜き、仮説を建て立証を繰り返すいという、自分なりの稽古をひたすら積み重ねていたのであります。

天才か!?と思ったその彼は、「努力の積み重ねを楽しめる」天才だったのですね。

よく考えてみると師匠も同様のタイプの人だったと思います。


同様に根拠の無い自信を持っていながら途中でやめてしまった方は、そんな積み重ねなどほとんどと言っていいほどしておらず、道場内だけの稽古だけに終始していました。

そんな人の「根拠の無い自信」はまるで宝くじを買って、自分だけは当たる、と思っている人と同じようなもので、それはまさしく「傲慢」というものであり、同じ「根拠の無い自信」であっても似て非なるものだったのですね。

そしてそこにもうひとつ、出来る人、出来ない人に共通するある要素が加わります。


とまたも偉そうに語っていましたが、私の場合は稽古も少ない上に、さらに「出来る気がしない」と思ってたくらいですからもっと最悪でございました。

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